1
「ゴチソーサマでしたーっと。おいしかったねぇ」
「ごちそうさまでした」
「ハイハイ、ようございましたね」
お店を出て、ネオンでほのかに明るい空に向かって大きく伸びをしながら振り返ると、ごみごみした喧騒から、なんていうか着てるものとかもなんだけど、中身がもうとびっきり浮きまくってる樹理ちゃんが、財布仕舞ってる先生に四十五度のお辞儀してた。
「ぎゃーもう、そんなお辞儀しなくていいってば」
礼儀正しいんだかどっかズレてるんだか、とにかく、普通にご馳走様だけでいいのっ!
「でもでも。ほんとにおいしかったから。こういうところ、初めてだったの」
「は?」
お辞儀したとき、前に流れてきた長くてふわふわした色素の薄い髪を後に戻しながら、やっぱり透明ってカンジのでっかい目をふわりと柔らかく閉じて笑う。
いやんもう、くらくらしていい?
確かに。氷川さん、こんなトコ来なさそう。イメージ的にこう、バイオリンのカルテットとかが生演奏して、なんでかハイビスカスとかで飾られた白いピアノとかあって、バカでかいガラスの向こうがパノラマな夜景。みたいなとこで、今食べたものが二十回くらい食べられそうなお料理食べてるカンジ。
お店で食べたもののなかで気に入った料理のこと言いながらにこーって笑う樹理ちゃん見て、先生も笑ってるの。
むが。なんかやらしい笑い方。
「哉は相変わらず?」
「はい。相変わらずです」
「哉もなぁアレルギーがあるわけでもないから、少しは他のもんも……っと。なんだお前?」
「ナンデモナイ」
うーん。樹理ちゃんと先生。どっちにくっつくか考えたけど、先生にしとく。力加減考えなくていいし。
「なら離れろ。帰るぞ。明日どこか行くんだろ?」
うん。行くの。お買い物とか。だから今日は樹理ちゃんがお泊りに来てるんだし。
でもね、なんとなく。
広い背中。くっつきたい衝動。ぐるってまわした私の手にかかる先生の手。
見えないけど分かる息遣い。ため息がひとつ。
いいもーん。離れるもん。ふーん。
「じゃあ私、樹理ちゃんと帰るから」
*
十月の体育の日をはさんだ連休と重なって、氷川さんは東南アジアに視察に出かけなくちゃいけなくて、昨日から来週の火曜まで日本にはいない。
ならお家に帰ったらいいんだけど、最近帰るたびにパパの様子が変だから、なんだか家に居辛くて、マンションに一人でいようかなって思ってたところに夏清ちゃんから電話がかかってきたの。
どうして連休に氷川さんがいないこととか、私が家に帰ろうか悩んでるの知ってるのかなと思ったら、氷川さんがね、井名里さんに電話してくれたんだって。
私が一人になっちゃうから。
金曜の授業が終わってすぐにマンションに帰って、荷物を持ってこっちに来ても、やっぱり駅に着いたときはもう午後八時を回ってた。のに、二人とも待っていてくれて(駅にいたのは夏清ちゃんだけで、井名里さんは先にお店にいたんだけど)一緒に晩ご飯。お酒の出るお店だけど、ご飯もおいしかった。
お店を出て、食べたものを数えて気がついたの。
私ね、結局食べた動物性たんぱく質、鶏肉と白身のお魚。
お料理の本をみたりして、ワンパターンにならないようにがんばってるんだけど、やっぱり本を読むだけじゃ同じようなものばっかりになってしまうのね。だから外食するとどうしても珍しそうな、氷川さんが食べられるもの探してるの。
「哉は相変わらず?」
いつもどおりの自分を見つけてしまってなんだか笑ってしまったら、多分同じことに気がついた井名里さんが笑って聞いてくれた。
「はい。相変わらずです」
バカみたいだなーって、思いながら。でもなんだかうれしくて。
続けて井名里さんがなにか言ってる途中でいきなり何の前触れも無く夏清ちゃんが井名里さんに抱きつく。びっくりしちゃって私も見てたけど、通行人もみんな横目で見ていく。
全然気にもしてない様子で、くっついたまま二人だけの会話。
ダブルのスーツの前に回った細い手首に自然に重なる大きな手。
井名里さんの、わざとみたいに大きなため息で、手に留まってしまった視線を上げたら。
なんだろう、ものすごく。
この気持ちはなんだろう。
「じゃあ私、樹理ちゃんと帰るから」
「え?」
ひらりと井名里さんから離れた夏清ちゃんが、私の手を取る。
「? どうかした?」
夏清ちゃんは背が高い。多分、氷川さんと変わらないくらい……その夏清ちゃんが身をかがめて私の顔を覗き込んでいた。
「ん、ううん。ちょっと、うらやましいなって思っちゃった」
「なにが?」
「うーん。いろいろ」
「そう?」
うん。今ね、夏清ちゃんがものすごく幸せそうな顔してることとか。
さっきみたいに自然に抱きついたりとか。
あきれたふりしてもやっぱり、夏清ちゃんの手に、そっと手を伸ばした時の井名里さんのうれしそうな表情とか。
「夏清ちゃんたちっていいよね」
ちょっと、うらやましいなって。
思ってみたり。
2002.5.15=up. |