* 夏 清 *
この子はこれまでの私の中にはいなかった主人公。背が高くて目じりの上がった、見た目がきつそうな女の子は脇役にいても主役じゃなかった。
とにかく「これまで」とは違うものが書きたくて作り出したキャラクタでしたが、ふたを開けてみればものすごくしっくりきて、どうにも愛してやまない人格ができあがっていました。
泣いたり怒ったり笑ったり、たったそれだけのことがすばらしいのかもしれない。特別な力はなくても人を幸せにしたいと思い、実行する人は、本人も幸せになれるのだと書いていてしみじみ実感しました。
幸せの尺度は千差万別十人十色。でも誰が見ても幸せな人というのがいてもいいと思う。不自由のない自由は、やっぱり不幸なんじゃないかな。
これからもきっと幸せな難問があると思うけれど、それはもう私が追いかけ切れるものではないです。がんばってと無意味な励ましはキライだけど、がんばるよという人は応援したい。がんばるよと人に笑える人でありたいですね。
* 礼 良 *
彼も、自分でもビックリするくらい異色の主人公。夏清と同じくですが、こんな怖そうなヒト脇役でもいなかったよ。しかし、なんと言うか、いろいろと新しいものを与えてくれる、味わい深いキャラクタでした。
きれいなだけの人がいないのと同じで、つきあってみればその裏側に隠し持っているものがたくさんあるのが人間かもしれない。彼を書いている間の、先入観が裏切られる瞬間が楽しかったです。
2の半ばの頃には4の内容がほぼ決っていました。でもそのとき考えていたのと、実際に書くことにギャップが大きくて何回も自問自答。本当にこれでいいんだろうか、って。これは物語なので、レアケースとしてもありえないような展開にしたんですね。考えたときはこれでいいと思っていても、書き進めるうちにだんだん不安になってくる。ホントに受けいれてもらえるのかしらと。
もともと井名里礼良というキャラクタ自体が現実世界ありえない、とてもウソっぽい人格だったので、開き直ってしまったといえばそれまでですが、書き終えて自分の中にあったのは、ああやっぱり、これは小説なんだなというあたりまえの感想。小説だからある非日常と、現代をベースにした小説だからこそなければならない共感できる日常が交錯して、この物語はこの場所にあるのだと思います
きっとこの人は、じじいになっても変らないであろうと想像しています。
* 健 太 *
終った後に続きを書く、と決めたときすでに「一人目は長男!! おにいちゃんがほしい」が、頭からはみだすほどの勢いだったので、もうそれ以外ありませんでした。だから健太はお兄ちゃんなんです。作者自身に兄も姉もいなかったので、妹にとってこうあってほしいという兄というか。健太にはいい迷惑ですな。
長男の甚六と言うか、とにかくおっとりと自己主張の少ないキャラクタで、最初のほうは周りに押されまくってすごく控えめでしたね。なんだか鬱々と溜め込んでそうな子、という印象で。心の中ではみんな妹ばかりかわいがってる、って思ってたと思うんだけど、目に見えるハンディのある小さい子を面と向ってうらやましいとは、お兄ちゃんは言えない。ちっちゃくてもそのくらいのプライドはあるよね。
上の子供から見ると、両親は下の子供のことばかり気にかけているように感じるんですよね。もちろん手がかかるのは小さい子で、自分も小さいときは下の子供以上に手をかけてもらっているんですが、そんなこと覚えていませんから。だからもう、健太の溜め込んだ「うらやましい」気持ちはすごかったんじゃないかな。
そう思っても、やっぱり妹もかわいいんだよね。そんな自分の中の矛盾と闘って引分けてる子です。5でやっと素がでた。無理をしていいお兄ちゃんをせずに、でもやっぱり健太はいいお兄ちゃんです。なんせ、生れたときからお兄ちゃんだったんだから。
作中でちいに「(顔が)父親に似ている」と言われていますが、私のイメージでは、健太は夏清似。顔も性格も。ま、どっちに似ても目じりは上がってるから、第一印象で一番のウエイトを占める部分は両親ともに似てるのかな。
そんな健太のこのあとの未来像ですが、本人が言ってるより早く日本の教育システムに見切りをつけて、北欧をうろうろした後アメリカ大陸に渡って、しばらくして途上国で教育について語り歩いているんじゃないでしょうか。現場よりも机の前で考え込んでる方がスキなタイプ。解けないパズルを延々とやったりしてそう。チェスや将棋をさせたら上手いと思います。
* ち い *
代ってこの子は、初めから妹でした。しかも兄のできることは自分もできると思っている、そしてできてしまう一番性質の悪いタイプの妹。
はっきり言ってしまうと、礼良がひねくれずに育ったらどのくらいまわりに迷惑をかける人間ができるかという証明。ええ、顔は眉毛以外全然似ていませんが、実は基盤がそっくり同じという設定です。無邪気な天才は無慈悲な天災。周りがブレーキをかけているのでこの程度で済んでいますが、一度箍(たが)が外れたら収拾がつきません。そのいい例が大学受験。
あとは、ちいの人格形成には実冴が大きくかかわっているので、彼女の影響もかなり受けていますね。逆にいうと実冴はちいといて、礼良にかかわろうとした響子の気持がなんとなくわかったはず。こんなおもしろいもの他人に預けたりできません。そういう意味では似ている親子。
ちいの病気については、どうするかちょっと悩んだのですが、あの二人ならなんとかなるわよね、と。これはもう、みんないい迷惑だった。もしかしたら20年後には、京大あたりで研究されているヒトES細胞なんかが上手く使えてくると、本人に適応した正常な臓器などがあるかもしれないですね(これは2003年2月20日に書かれた文章です)
こんな未来の話を書くとは思っていなかったので、とにかく想像がつかなくて困ったのが記憶メディアと通信技術。1年後くらいなら、経済誌などで新製品や新技術をチェックすればおぼろげに想像できるのですが、ここまで中途半端に近未来だともう、想像の限界です。未来に読んで違うじゃんと思っても落ちこまないように、未来の作者。それなりにがんばってみました。
作中にもありましたが、ちいは真礼似。やわらかいくせっ毛とか、タレ目とか。どうしてもその外見と病気持ちということで、礼良にしてみると、外見は写真でだけ見た母親とダブって、弱いものと誤認してしまいとにかくじっとおとなしくしていてほしいらしい。それから、内側は自分とよく似ているので行動の結末がいちいちが予測できて、どうしても先手を打ってしまいたい、気になって仕方ない存在。眉毛のみ父親似。
ちいのこのあとの未来像は、とりあえず遊びながら大学を出た後、専門課程を修了して立派な検事さんになります。タレントとしての活動はほとんどなくなりますね。それほど未練を感じている様子もありません。そしてバリバリと難事件を解決したかどうかは……今はまだわからないですけどね。
* み あ *
オマケ。でもぐ○こだってオマケがメインだったりしますから、侮れないかもしれないよ。なんてウソです。この両親からどうしてこんな子が!! ってなくらい、フツーでおっとりしたお子様がそのまま成長します。
人格形成の場が3LDKだった健太やちいと違って、モノゴコロついたときから大きなお屋敷のお嬢さん。上の二人が小さかった頃はばたばたと忙しかった両親も、みあの時には余裕もあって、なおかつ甘やかすと思うのでべたべたの甘ったれさんになること間違いナシですね。
夏清は変らないと思うんですが、礼良はちいとは全然違う育て方をしそう。それはもう、読者のみなさまが想像していたような。子供というより孫みたいな感覚で、かわいがりそう。ああ、ちいが怒ってる姿が目に浮かぶ。そしてみあに泣かれておろおろするのよ。「お姉ちゃんはみあのことは好きなの! お父さんがモンダイなのよ。泣かないでっ!!」ってなカンジで。
礼良とちいがどうでもいいようなことで口論すると泣いて仲裁に入りそう。で「ケンカするなんてお父さんもお姉ちゃんもキライ」とか言われて、二人同じリアクションでおろおろしてるの。最強。楽しそうだなぁ
外見は夏清を少し甘くしたカンジ。夏清が両親に愛されて普通に育ったらこんなふうになるかな、という理想像。だから礼良はみあがかわいくてしかたない。ちいとは180度、両極の意味で、みあに構いまくってそう。逆にこちらの娘は、そんな父が好き。
みあは親元から離れることに慣れてしまった兄や姉とは逆になかなか親離れしない子。なにか仕事をしているイメージもないので、学校を卒業して、好きな人を見つけて幸せに暮らしてそうです。それはもう、普通に。誰の人生が一番幸せかなんて、誰のものさしも長さが違いますから、みあはみあの幸せを見つけていくんじゃないかな。