ケース2−5 そして田中エリの場合


「な、何がおかしいのよ?」
 悟りを開いたような、あっさりと、それでいて楽しそう、違う……嬉しそう……でもない……そうだ、幸せそう、に斎藤君が微笑んだ。
 どうして? なんでそこでそんな風に笑えるの?
「ああ、ごめん。おかしくはないよ。ただそうだな、本人はそう思ってなくても、他人が思えばそれは真実になるのだろうと思い至ったら、俺が何を言っても田中さんは田中さんのモノサシでしか、理解しないだろうし、だからと言って田中さんが思っていることまで俺が変えるのはちょっと難しいな、と」
「詭弁ね。私が知りたいのは、斎藤君がどう思っているかであって、私があなたのことをどう思っていようが、あなたの答えよ」
 逃げに似た答えにいらついた。
「そう、詭弁だね。でも俺の答えは一つだよ」
 まっすぐに向けられる意志の強い、深く黒い瞳。
「俺は、自分がロリコンだと思ったことはない」
「はっ! じゃああなたが後生大事に抱えてるその子はなに? 同級生、上級生、下級生からの告白を一度も受けずに、ずっとフリーで、ここにいる翔子にさえ見向きもせずにそのガキといることを選んでおいて、自分がロリコンじゃないって良く言えるわね」
「言えるよ。だって俺は華菜以外いらないからね」
「だからそれが……!!」
「違う。華菜が生れてから、死ぬまで、俺は華菜以外いらないんだよ。華菜がいくつだろうが、関係ない」
「なっ!それこそ詭弁じゃない! どう見たってそんなチビが好きだってんなら立派なロリコンでしょう!?」
「そうかな? 例えば君らが三十路前、女としてそろそろ賞味期限もやばくなったとき、華菜はまだ世間で言う「クリスマス」前、ちょうど一番女性としていい時期でしょ?」
 指を指して怒鳴った私に、涼しい顔で斎藤君がそう言い放った。さり気に私らが三十まで売れ残るようなこと言ってくれてるわね。
「そんなの、十二年も先のことじゃない。それまで待つって言うの?」
「待つよ。待てる。今までと同じ時間待てばいいだけだろう?」
 悔しかった。
 こともなげにそう言い放つ彼がひどくきれいで。
 どこからともなくぱらぱらと拍手が聞こえてきた。
 私のシュミレーションの中で、カミングアウトした彼に嘲笑と侮蔑をもって接していたギャラリーが、現実では好意的に、彼を応援している。闘いはすんだと思ったのだろう、集まっていた人々が、各々自分の時間を取り戻し、去って行く。
 ギリ、と噛んだ唇から、鉄さびに似た匂いが、口の中に広がる。
「もうやめて、エリちゃん。私のことはもういいから、やめようよ、こんなこと」
 爪が食い込むほど握り締めた私の手を、柔らかく、けれど冷たい翔子の手が包んだ。
「それは、どうかな」
 抱いていたガキを下ろして、腰の後ろに立たせると、きれいなきれいな顔で、斎藤君が笑っていた。
「田中さんって、本当に宮田さんのためにこんなことをしたのかな?」
「な、に……言い出すのよ?」
「前に読んだ本にね、書いてあったんだけど。」
 やめて。
「人は、『誰かのため』っていう大義名分を得るととても強くなれる。正義のため、国家のため、家族のため、親友のため。そう思えば、大抵のことはできてしまう生物なんだって。でも、『自分のため』に、人は悪者になることはとても躊躇う」
「何が言いたいのよ?」
「別に。田中さんは、宮田さんのためだと思うことで何かを摩り替えているんじゃないかと思っただけだよ」
「だから何が言いたいのかって聞いてるんじゃない!?」
「答えようか? 何を摩り替えてるのか。自惚れるわけじゃないけど、割とね、人の感情には敏感なんだよ。俺も、まわりの同級生も」
 自信に満ちた顔。
 まさか、どうして? 彼はいつ気づいたのだろう? 彼が言おうとする言葉を考えたら、自分でもはっきりと分かるくらい顔に血が上るのが分かった。
「田中さんはいつも、宮田さんのため、という大義名分を振りかざしてことごとく、学校行事において俺と同じ班になってたよね? そしていつも、ズルイと言われる対象は宮田さんだった。でもどうしてかな? 宮田さんの印象はとても薄い。まるで何かにとかされるみたいに。まわりの雰囲気と、宮田さんの態度とを少し観察したら、宮田さんが俺に好意を寄せてくれている事はすぐに理解できたよ。そして他の人たちがなぜか遠慮しているらしい事もね。でもその人達は、俺や宮田さんに遠慮してたんじゃない。田中さんに、遠慮してたんだよ」
「な、何言ってるのよ! どうして私に遠慮しなきゃいけないって言うの? みんな言ってたじゃない。翔子なら敵わない、って。翔子なら許せるって!」
「そうだね。控えめで美人で頭もそこそこ良くて、ピアノが上手で、非の打ち所のないお嬢様、でも別にね、だからと言って宮田さん一人なら、全然たいしたことないんだよ。良く言えばやさしい、悪く言えば流されやすい性格の宮田さん一人なら。でもみんな田中さんが怖かったんだ」
 さり気なくひどいこと言うわね、斎藤君って。
「田中さんは知らないだろうけど、他の女子の間じゃ結構有名な噂。聞きたい?」
 イヤだ。聞きたくない。
「『田中エリは、宮田翔子をダシにしていつも斎藤駿壱のとなりにいるけど、ホントは自分が好きだからじゃないの?』って」
 違う。違う違う違う違う!!!!!
 不覚だ。顔が熱い。きっと真っ赤になってる。何度首を振っても、それがきっと答えになってる。
「俺もね、最初聞いたときはまさかって思ったんだけど、つい最近確信したんだ」
 やめて。
「俺が宮田さんの誘いを断って、チケットをちょっと卑怯なカンジでもらったとき、田中さん、笑ってたでしょ?」
 笑ってない! 笑ってない!! 笑ってなんかなかった!!!
「唇が動いてたよ『ザマアミロ』って」
 言ってない!! そんなこと言ってない!! いいかげんな事言わないで!!!
 翔子の手が、力を失うように私の手から離れた。
「翔子! 違うよ。斎藤君の言ってる事なんて全部嘘だよ。わたし、斎藤君の事なんて全然何とも思ってないから! いつも翔子のためにやってたの」
 信じて、と言おうとした。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……エリちゃんごめん……知ってたの、私知ってたの。エリちゃんが斎藤君の事スキだって知ってたの!!」
 言おうとしたのに、ぼろぼろ泣きながら、翔子が謝ってくる。
「最初は、私斎藤君の事全然何とも思ってなかったの。
 でもエリちゃんといっしょにいると、必然的に斎藤君が近くにいて、斎藤君と話してるエリちゃんって、他の人にするよりずっと楽しそうだったから、そうか、って。エリちゃんは斎藤君が好きなんだな、って。
 それで私も自然と斎藤君の事見るようになって、そしたらどんどん、私も彼の事好きになってたの。いけないって、やめなきゃって思ってたのに、私、ポーカーフェイスとか出来なくて、すぐ顔に出ちゃうでしょう? だからあっという間に噂になって、エリちゃん謝ろうと思ったら、笑って協力するよって、翔子ならお似合いだねって……平気なフリするんだもん。
 私の事、怒っても良かったのに。ううん。せっかく友達になれたのに、エリちゃんに嫌われるのが怖かったの。私、聞けなかった。エリちゃんの本当の気持ち聞けなかったの。エリちゃんがそう言ってくれるのならいいじゃないって、自分の都合のいいように解釈して、ずっと甘えてたの。影でなんて言われてたかも知ってたの。いつもエリちゃんに頼って斎藤君といっしょにいるって言われても良かったの。エリちゃんに利用されてるんだよって言われても良かった。
 それで私達が友達でいられるならいいと思ってた!!!」
 ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返しながら、翔子が泣いている。物静かだけど、これまで一度も泣いた事のなかった翔子が。
「こっちこそ、ごめんね、翔子。でも翔子も気づいてたなんて全然知らなかった。ねえ斎藤君、私そんな露骨だった?」
「全然。むしろ逆かな。自然すぎて不自然だったんだよ。何にせよ、もう宮田さんはいないわけだし、これ以上俺にかまうのも止めてほしいね。俺は、華菜を泣かせた相手を許せるほど寛容じゃないんだ。次に何か、君がしてくるのなら、今度は完膚なきまでに叩きのめすよ」
「安心して。もう懲りたから」
 自分の大切なところを暴きたてられるのがどう言うことか。わかったから。自分から言うのより、それはとても心を傷つける。ずっとつきつづけてきたウソを、最悪の状態でさらされたとき、もうだめだって、いろんなものを諦めそうになった。
 私は今まで、どのくらいの人に、そうやって来たのだろう。気付かずに、いいえ、わざとそうやって来た。どのくらい心が痛いことかなんて、全然知らなかったから。だって負けたことがなかったもの。
 でも、翔子ってボーっとしててそう言うこと全然疎いかと思ってたら、しっかり見られてるんだもの。
 こんないい子がどうして私みたいなのと友達でいてくれるのか不思議でしょうがないわ。
 どうしてだろう。なんだかすごくスッキリしてる。
 泣いてる翔子の肩を抱いていると、うわ、いやだわ。なんかまわりから見たらレズの痴話げんかみたいじゃない私達。
 あ、そうか、そうね。斎藤君の言うとおりかも。自分達は友情でも、周りから見たら違うかもしれない。
「えっと……カナちゃんだっけ?」
 斎藤君の後ろにある三つ編みが、ぷるぷるしてて、目に見えて脅えている。いや、確かに、ひどい事いいましたよ。ええ。
「ごめんね」
 色々言おうと思ったのに、出てきた言葉はそれだけだった。
 別に許してもらおうと思ったわけじゃないけど、謝れるのなら謝っておく方がいい。
 ま、こんな気持ちも今だけだろうけどね。
「じゃあ。私達帰るわ」
 背を向けて歩き出した私を斎藤君が呼び止めた。
「田中さん。めずらしく殊勝な精神状態みたいだから、いい事を教えておいてあげるよ」
 振り向いた私に、斎藤君が面白そうに言った。
「君に追い出されたバレーボール部の面々がこの春からバレーボール同好会を設立するらしいよ。面と向かって君にたてつく勇気のある人ばかりじゃないから、人数はまだたかが知れてる。潰すなら春休みの間にしておかないと、五月過ぎたら立場が逆転、なんてこともあるかもしれないよ」
 おそらく、生徒会で仕入れた情報なのだろう。
「いいわ。別に。正面から受けて立つわよ」
 伊達に県大会優勝してるわけじゃないのよ。確かにそこそこ上手くてもやなやつは追い出したけど、練習量に耐えられなくて辞めた子が大半だから、楽しくバレーをやりましょう、くらいに考えてる連中ならいらないもの。
「ご忠告、ありがとう」
「どういたしまして」
 にっこりと、ゼロ円スマイル。誰にでも向ける笑顔。ホント、食えない男ね。
 ひらひらと手だけ振って、階段を昇る。
 やっと泣き止んだ翔子と一緒に。
「翔子も、ごめんね、私のせいで散々だったね。まだ時間あるしさ、池袋の水族館でしきり直ししない? ナンジャもいいよね。両方行く?」
「うん。じゃあマンボウ見よう! その後ナンジャタウンいって、スタンプ集めるの。きっと春休みだから新しいスタンプが出てるよ。夏休みには帰ってくるから、今日出来なかった分は今度あった時にまたいっしょに行ってね」
 翔子がうれしそうに、笑ってくれる。
「あのね、エリちゃん、私、手紙書くから。たくさん書くから」
「私も、手紙書くよ。今まで話せなかった事も、これから起こる事も、いっぱい書く」
 ほんとはね、翔子とはこれで終わるだろうと思ってた。すぐに連絡がなくなって、時々、なにしてるのかな、って思い出すくらいの関係になるだろうって。
 もともと親友みたいに見えて、私達はお互いの深いところには一度も踏み込んだ事がなかったのだ。
 だからと言って、これまでの五年間が無駄だったかって言うと、そんなことはないと思う。
 多分それは、これから私達がさらに仲良くなるためだと思えばいいから。
 なーんだかなぁ。
 いろいろあったのに、全然平気。
 きっと相手が斎藤君だったからだろう。
 きっと、翔子がいてくれたからだろう。
 なぜかとても満たされた気分で、私は翔子と二人、後楽園をあとにした。


ケース2−6 華菜の場合

ケース2−4 つづけて田中エリの場合
ケース2−4´(ダッシュ) 駿壱の場合


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