ケース3−2´(ダッシュ) 駿壱の場合
ダメだ。
なにやってんだかね、俺。
ダメダメじゃん。脅えてたし。絶対。
調子のってたんだろうか?
ソファに沈み込んで、天井を仰ぐ。
前髪をかき上げるためにあげた右手をそのまま顔に乗せて、目を閉じる。
どちらかと言うと、言わされたのかもしれない。
田中エリに、ではなく。
それはあの時抱いていた華菜だったかもしれないし、俺自身だったかもしれない。
でも気付いたから、もうもどれない。
華菜しか要らない。
華菜だけいたらいい。
それは、華菜が生れてからずっと。
心の中にあったもの。
自分の中に、あったもの。
だから。
俺の腕の中に、入ってくるのを躊躇したり、差し出した手に迷ったりした華菜が一生懸命言ってくれた言葉に。
嬉しかったんだ。
どうしようかと思うくらい。
いつもみたいに頭が回らなくて、ひどくそっけない答えしかできなかった。
なんとか平静を保って、手をつなぐことがどうしてこんなに心を乱すのか、その意味を考えながら、家に帰ればこの状態だ。
驚いた瞬間に、思いきりこぶしを握り締めて喜びに浸るもう一人の俺がいたのも事実。
いつも遠野家の風呂を借りる時、ふざけて『華菜もー』とくっついてくるのが華菜で、断るのが俺。
だからってわけじゃないけどこの状況と浮かれた気持ちがつい口を滑らせた。
「ダメだ……」
それでもニヤリとしてしまう口元を目を覆っていた手で押さえる。
これじゃただのエロオヤジとかわんねー
一人悶々と後悔したり想像したり反省したりしていると、廊下の向うからかたん、と小さな音がした。
立ちあがったあとで、気のせいかと思って座ろうとしていたら、今度は。
「はっへしゅっ」
くしゃみだ。
リビングを狼から逃げるうさぎのようにダッシュで出ていってからすでに十五分経過。入って出て来たにしては、どうにも早いしくしゃみってのも変な話だ。
「華菜? どうかし……」
た? と言おうとして、言葉が止まる。見たままなら、華菜は濡れたままの姿で玄関に向かって出て行く途中だったようである。くしゃみの出た口を両手で押さえて、上目遣いに俺を見たあと。
脱兎のごとく逃げようとする。
目の前から逃げようとされれば追いかけるのは人の性。
反射的に手が出て、そのまま腕をつかんでいた。
びくりと肩が縮まって、おそるおそる、と言った風でゆっくりと振りかえる華菜。
たのむから、そんなおびえないでくれ。
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