コメディアデラルテ、本日25日に骨折した箇所にボルトを入れる手術を行ったのですが
本日25日社台ホースクリニックで右第3手根骨板状骨折部にボルトを入れる手術を行い、
無事終了。担当者は「剥がれた骨が一番安定するところにボルトを一本入れました。
大根田師も立ち会いましたが、終了した際に『良かったぁ〜』といった風にホッと胸を
撫で下ろしていました。師は来週も様子を見に来られる予定です。
まずは入院馬房で安静にし、術後の経過を見ていきたいと思います」と話していた。
と。 無事に手術が成功して何よりです。
過去にボルト入れて活躍した馬というと、ヤマニングローバル(古いか)とか
アドマイヤコジーンとか。 コメディアもこういう先輩に続いて欲しいね。
ちなみに、この手術は北海道で行われたのだけど、調教師の大根田先生はわざわざ
北海道まで行ってくれたのですね。
他ルートからの情報からも、この先生はとてもいい人らしい。
またこのコンビで大暴れを期待しましょう。
やりました。 オークスのシーザリオ、圧倒的人気に応えての勝利。
我等がキャロットクラブは初G1制覇!!
シーザリオには出資していないけど、これは素直に祝福。
同じクラブの会員としてとっても嬉しいです。
正直、福永は今日に限っては馬の邪魔をしてただけだったがシーザリオの力が
抜けてたってことだろうね。 すごい脚でした。
それにしても武豊。 今日の騎乗にはため息が出た。 すごい。
(7R、8Rは「?」の騎乗だったが)
あの乗り方で負けたならもうしょうがないだろうな。
シーザリオはアメリカオークスに出走するプランもあるらしいけど、今日のレースを
みる限り、充分通用するんじゃないかな
さあ!俺らの出資馬もシーザリオにつづけぇ!!
昨日11日の再検査で右第3手根骨板状骨折は全治に
最低でも1年は要する見込みとの診断。
大根田師は「骨折の程度としては非常に重いもので、
全治1年と出ましたが、完治する保障はなく、レース
に再度使える可能性は五分五分といった感じです。
わずか5戦目でダービーへの出走権を勝ち取ったように
素晴らしい能力を秘めていることは疑いようがなく、
治れば大きなところを狙える馬であることは間違いありません。
それだけに一朝一夕には今後についてどうこう言うべきでない馬だと思います。
怪我をして間もないということもありますし、
幸いなことに再検査では骨折の悪化も見られなかったので、
もう少々時間をかけて状況を見つつ、今後について考えてあげたいと思います」
と沈痛な面持ちで話していた。
京都新聞杯で2着に入線し、見事ダービーへの切符を手にしたかに見えた
コメディアデラルテ。
残念ながらレース後に骨折が判明し、ダービーへの夢は絶たれました。
天国から地獄とは正にこのことで、我々のガッカリ具合も半端ではなかったわけですが…
更に間の悪いことに骨折した箇所が手根骨板状骨折。
この箇所の骨折は短くても1年の休養。酷い場合は競争能力喪失という事もあるので
精密検査の結果が出る今日、11日までは非常に落ち着きのない日々を送っていたわけだが
本日11日に再検査を行ったが、レース後と変わらず右第3手根骨板状骨折の診断。
全治には1年を要する見込み。現在は舎飼にて様子を見ている。
と、言うコメントが発表されました。
正直、ホッとした。「引退」という最悪のケースは回避されたわけだから。
確かに、ダービー出走を逃したのは痛い。 何しろ日本最高峰のレースだ。
今後我々の出資馬が一度もダービーに出走できない可能性だってある。
いや、その可能性のほうが高いだろう。
悔やんでも悔やみきれない骨折。 確かにそうだろう。
でも事実だ。 動かしようのない事実。
「ローテがきつかったんじゃないのか」
「京都新聞杯は回避して秋に備えた方が良かったんじゃないか」
「(厳しいローテを組んだ)調教師が悪い」
と、いうような書き込みをネットのそこかしこで見かけたが
全くナンセンスな批判だ。 見苦しいほどの結果論。
俺らが受け入れなくてはならない事実は
・コメディアデラルテは骨折してダービーはおろか、菊花賞、来年の春天の
出走も不可能になってしまったこと
・コメディアがダービー出走というでっかい夢を見せてくれた強い馬であること
この2点だけだと思う。
冒頭にも述べたように、コメディアデラルテはこれからしばらく休養に入る。
もしかすると1年以上休養することになるかもしれない。
その頃までこのBlogが続いているかどうかは分からない。
だけども、コメディアデラルテの復帰初戦、そのレースがどこで行われていようと
ゴール前で単勝馬券を握り締めて絶叫する俺たちがいることだけは間違いない。
願わくば、その時に全国の競馬場、WINS、はたまた自宅のPC(PAT)の前で同じ
気持ちで、この呼びにくい馬名を持つ馬を応援してくれる人がいてくれれば…
これ以上の喜びはない。