2 家


 バイトを終えて午後八時過ぎ。見上げた一番左端の部屋にはもう明かりが点いている。
 家が明るいのは、なんだか嬉しい。
 誰かが待っていてくれると言うことは、とても幸せなこと。
 エレベータで五階に上がり、合鍵で玄関を開ける。
「ただいまー」
「おう、お帰り」
 リビングでいつものように夕刊を読みながらタバコのフィルタを噛んでいた井名里が、新聞をたたんで立ち上がる。
「晩御飯、実冴さんがいろいろくれた。コレもチンする?」
「それくらいならやっとくから、着替えてこいよ」
「うん。それと、実冴さんから伝言『京都四条の「とらや」から「水無月」をクールで送るように』だって」
「あの女……」
「あとね、北條先生と実冴さんにお小遣いもらった。楽しんできなさいって」
「ふーん」
 夏清と住むと決めてからの、井名里の行動は早かった。
 あっというまに夏清の後見人を、知り合いだと言う女性に頼みに行った。
 夏清の後見人であり、バイト先の経営者でもある北條響子は、六十を少し超えようかと言う年齢だが、ぱっと見四十代後半か五十歳くらいにしか見えない、非常にバイタリティの旺盛な女性だ。
 私もこのくらいまで習っってましたと、教材の一つを見て言った夏清に、北條が少し驚いたようだった。そのくらいまで終わっているのならと、そこで採点などのバイトをさせてくれた。
 北條が経営している学習塾は、全国ネットでCMを流しているような大手の傘下にはいっていて、全国どころか世界中に教室がある。夏清の住んでいたところにも小さかったが教室があって、小学校の三年の時、無料体験教室に誘われて行って、中学三年までずっと算数と数学だけだが習っていた。夏清が数学を好きになったのは、この塾で学んでいたからかもしれない。
 井名里が事情を説明すると、満面の笑みでよかったわねぇ、礼良君も人並みで安心したわと、とても意味深な発言をした後、二つ返事で諒解してくれたのだ。
 そのあとも赤の他人である夏清のことをいつも気にしていてくれて、知り合って三ヶ月も経たないのに、井名里に言えないような相談事でも気軽にできるから不思議だ。
 そして、その北條よりさらに夏清のことを気に入っているのが、北條の娘の実冴だ。娘と言ってもすでに三十半ばで小学生の双子の母親だが、離婚していて現在は北條の家に入り浸っている。
 夏清は書類上、その北條の家から通っていることになっている。
 井名里にタッパーを手渡して、夏清は部屋に帰る。玄関から入ってすぐの四畳半。しかし部屋には下がたんすとクローゼットになったハイベッドと机、ローボード。本棚を置けば、他に座る場所はない。
 Tシャツとスリムジーンズに着替えてキッチンに行くと、温め終わったものをそのままテーブルに置いている井名里を発見する。
 夏清のバイトは月水金の週三日。夕食は先に帰ったほうが作ることになっているが、井名里に冷凍チャーハンを炒めることと、カップ麺に湯を注ぐことと、レンジ加熱の調理以外を望んではいけないことを、夏清はこの三ヶ月で学んだ。まだこの季節は作り置きも可能だが、これからの季節どうして行こうかと所帯じみたことを本気で悩まなくてはならない自分が悲しい。
「またそのまま出してる。器あるんだから移そうよ」
「別に、食べるだけなんだからいいだろ?」
「せっかく食べるんだから、そのくらいしたほうがいいもん」
 井名里も夏清も一人暮しだったのに、現在ここのキッチンにある食器棚も、中の食器もほとんど夏清が持ち込んだものだ。ここの家にはビールか何かでもらった景品のガラスのコップがいくつかと、同じくどこかからもらったらしい皿が二種類四枚、お祝いのお返しらしい五客セットのコーヒーカップしかなかった。なので、流しの横にあるかごで十分事足りていたのだ。
 食器棚と、二人で暮らすとなると食材のストックが増えて、本格的に暑くなる前に、教員である井名里のボーナスが出るのと同時に買い換えた結構でかい冷蔵庫が増えたリビングは少し狭い。
 皿を取って振り返ろうとしたその時。
 背後から、べったりと井名里がのしかかってくる。身長差を利用して、まるでかぶりモノのように。
「重いー 先生、どいて」
 全く意に介した様子のない井名里。
「お皿持ってるし、離れて」
 そう言っても、離れない。それどころか井名里の手のひらが夏清の体を這いまわっている。
「先生……」
「ナニ?」
 言いながら、右手がTシャツの中に入ってきている。
「ご飯は?」
「あとでいい」
「私はおなかすいたの」
「俺は夏清のほうがいい。危ないならおいとけよ」
 長い、細い指がわき腹を這う。
「おっさんみたいなこと言ってないで」
 置けと言われたら意地でも放したくない。
「夏清から見たらおっさんだろう?」
 ……ああ言えばこう言う……
「自覚があるなら! 十代のお年頃みたいなマネしないで!」
「明日から四日もできないし。なんでよりにもよって安全日と重なるかね、修学旅行」
 夏清の肩にあごを乗せ、さも残念そうに井名里がため息をつく。とことん自分の都合を優先した発言に、夏清はげんなりする。夏清としては、月に一度のお客様もちょうど終わるナイス日程なのだ。
「毎日毎日やって飽きない?」
「飽きない。それに昨日、一回しかさせてくれなかった」
 するり、と首筋に唇が這う。
「……っ! 充分でしょう?! やっん!!」
 昨日の日曜日、明日からの旅行にいるものを買いに、夏清は一人で買い物に行っていた。そのとき寄った本屋でたまたま買った参考書を見るともなしに眺めていて、本当にわからない問題があったので、三十分ほどそれと格闘した後、不本意ではあったが井名里に聞くことにした。
 夏清は、井名里の部屋に入るときには必ずノックする。原因は、彼がいつ何どきなく異様なほど凝った問題を作っているからだ。きっといつかテストに出すつもりの。
 なので、えらくあっさりとどうぞ、と言われて夏清はそっとドアを開けた。
 何かの雑誌を読んでいたらしく、わからないところを問う夏清に、ちゃんと解き方を教えてくれた。
 教えてくれたのだが。礼を言って帰ろうとした夏清を、そのまま押し倒したのだ。この男は。
 とっさに手にしていたタウンページ並みの参考書で殴りつけてしまっても平然としていた。確かに力加減はしていたが。井名里の片手で夏清の両手は簡単に押さえ込まれてしまう。まじめに勉強を教わりにきた生徒に、なんてことをするのだ。コトが終わった後もう金輪際教えてもらわないと捨て台詞をはいて、夏清は自室に戻って鍵をかけて寝た。一応夏清の部屋には、鍵が取り付けられている。
「やめっん」
 Tシャツの中に入り込んで背中をなで、井名里が器用に片手でブラのホックをはずす。だめだ。この状態から今まで何度流されてきただろう。
「だめだ……って……ば……わかった、から」
 空いている左手で、井名里の体をはがす。
 深呼吸を一回。
「わかったから、ご飯食べてからにして。私今、ものすごーっく、おなかすいてるの」
 いっしょに、おなかの鳴る音がする。最近簡単になるようになった。コツはいらない。おなかがすいたときにハラに力を入れなければ勝手に鳴ってくれる。
「了解」
 夏清の顔に、おなかすいて死にそう、と書いてある。前に一度無視してやろうとしたら、なにをしていてもお構いなしでぐるぐる鳴る夏清の腹の虫に、気分もムードもあったものじゃなくなった経験がある。なおも鳴りつづけるそれに、さすがの井名里も、両手を上げて降参した。
 
 
「んっ……い……」
 何度しても、入ってくるとき、少し痛い。
 何度かやって、気づいたのだが、やっぱりコンドームは、あるよりないほうが挿入がスムーズで、なぜかしっかり夏清の安全日を把握している井名里が、そのまま入ってくる。
 入ってしまえばあとはただもうひたすら快感をむさぼりあう。
「夏清」
「ん……ひゃっ!」
 条件反射のようにリズミカルに井名里にあわせて腰を振っていた夏清は、腕を引かれていきなり抱き上げられる。
「あっ! くぅっ……」
 自分の体重で、思い切り奥まで突き上げられる。必死で井名里の首に掴まる。息をするだけで精一杯。
 井名里の胸に押し付けられた夏清の乳房のやわらかさ。鼓動の早さ。
「動いて、前みたいに」
 しがみついたまま荒い息を続ける夏清に、井名里が小さな声で言う。
 そっと腕をはがして、体を少し離す。己の肩に手を置かせて、井名里が空いた両手で夏清の乳房を寄せてあげる。
「大きくなった?」
「そん……っな……変わってない……と思う……ぅん」
 ゆっくりと揉んでいた手が、勃ちあがった乳首をつまんで転がす。
「んっ……やぁっん」
 動かない夏清に、井名里が下から強引に突き上げる。奥をえぐられるような感覚に夏清が再び腰を使い始める。
「ふっ……んっく……はっあ」
 半分開いたままの夏清の唇に、井名里が口付ける。下と上から、じゅくじゅくと粘膜がこすれて体液が流れ出す。
「も、や…はんっ! だめ」
 何もつけていないセックスは、すべてがダイレクトで、ほんのわずかな段差が小さな快感を連れてくる。引っ掛けられるように奥まで入ってくるそれに、子宮が押し上げられて内側の肉がえぐられる。
 加えて執拗に、井名里の手が乳房をもてあそぶ。下から持ち上げられて、手のひらでつぶされて、先端をはじかれる。その度に夏清は、声を漏らす。中が締まる。
 イキそうだと言われなくても、中に入っている自分自身が細かく波を打つように徐々に締め付けられていく。いつもある入口の抵抗に根元が締め上げられるような感覚。こちらから派手に動くと、あっという間に吸い上げられてしまいそうだ。
「あっ あんっ……ぃく」
 無心に振りつづける腰。胸から離れた井名里の指が、夏清の無毛の割れ目の中に進入した。
「いっ あ!! だめぇっ」
 だめだと言いながらも、もう動きは止まらない。むしろその指に自分の一番敏感で、みだらな部分をこすりつけるように動いてしまう。
「くっあぁっも、や……だっ……っく」
 びりびりと、脳みそがしびれる。
「っくっ……どうっ……し……よぅ……私、もぅ」
「俺も限界」
 ほとんど夏清が動くに任せていた井名里が、急にピッチを上げて夏清を追い立てる。
 がくがくとゆすられながら、夏清が叫ぶ。
「あっあきっら……ぁあんっ!! い……っく! イクッ! いっちゃう!!」
 いつ聞いても甘くて切なくていやらしい。腰の奥から背中を伝って、痺れにも似た快感が駆け上って行く。
 叫びから一拍のちに、強烈な締め付けが井名里を襲う。
 軽いめまいを感じながら、井名里は全部、夏清の中に出した。
 肩に置かれた夏清の手に、力が入っていない。
 やばいと思った瞬間。ぐらりと、夏清の体が倒れていった。
 
 
「信じらんない」
 陸に打ち上げられたマグロのようにぐったりと夏清が枕に顔を突っ込んだ。白い背中にキスの痕を残そうかと思ったが、それをやるとばれた時、本気で刺されそうだから止めておく。
「フツーやる? 旅行前に三回も」
 時計はすでに午前三時を回っている。最寄駅の集合時間が六時なので、夏清は最低五時には家を出てカムフラージュする必要があるのに。普段学校に通う分には少し早く着いてしまえば影響がないが、こういった行事になると、やはりあの駅から乗ってこなくてはならないだろう。
「どうせ今日は半日移動だよ。その間に寝とけ」
 つまりはまだおきていろ、と言うことなのだろう。大きな手が、布団と体の間に入ってきて、浮いた腹をなでまわす。
「やー……だ……寝るぅ もう寝る……一時間だけ寝る………ん……」
「うそつけ、さっき寝かけてたくせに」
 半分寝言のようにつぶやいた夏清の腹に回された腕に力が入り、またひょいと体が持ち上げられる。ふにゃふにゃになりながら夏清はぼーっと部屋の中を見た。
「どころでさー……せんせー?」
「んー?」
「荷造りはー?」
「そんなもん十分もありゃできるだろ」
 さわさわと体中を這い回る手に眠り半分、心地よさ半分でいた夏清の脳が一気に覚醒する。がばりと体を引き離して、真向かいになって座る。
「ちょっと待って、ほんとにまだ何も用意してないの?」
「してない。夏清がしてくれると思ってたから」
「なっ!! それこそ信じらんないわよ!!」
 誰がするかと叫びたかったが、夏清がしなかったら本当にやらない気がする。
 ベッドから降りて、立ち上がり、自分の置かれた状態に一瞬悩んでからトイレに駆け込む。急いで後始末をして、いつものようにリビングに脱ぎ散らかされた服から、井名里のTシャツを着て夏清がまた寝室に現れる。
「お、似合うな、それ、やろうか?」
 スポーツメーカーの白い薄手のTシャツは、ゆったりしているとはいえしっかりと胸の起伏に沿って、まだ硬い先端の形を浮き上がらせている。中途半端な場所から伸びる腿が白く、煽情的ないやらしさを際立てる。
「帰ったらその格好とか」
 最後の一枚だったショーツは、ベッドの上に壁を背に座っている井名里のそばにあるので、おそらくは、そのTシャツ以外何もつけていない。
 井名里のたわごとなどには耳も貸さずに、夏清がクローゼットを開けてカッターシャツや靴下、トランクスなどを手近なバッグに突っ込んでいく。つめながら、なにか大事なものを故意に忘れてやろうかと思っても、根が貧乏性の夏清はあるものは外で買うのがものすごくもったいないことをしているような気になる。井名里は毎月何回か外食に連れて行ってくれるが、それさえなんだかものすごく贅沢をしているような気がするのだ。
「旅行用の歯ブラシは!? 櫛は?」
「んなもんない」
「どうすんのよ!?」
「行ったらあるだろ? アマゾンの奥地に行くわけでもあるまいし、京都なら」
 あたりまえである。でもせめて、そのくらいは用意してあってもよさそうなものなのに。
「買ったらもったいないでしょう!?」
「そうだな、貸してもらうか」
「!!」
 あぐ、と夏清が口を開けたまま振り返る。キスはできても歯ブラシの共有は絶対にしたくない。なぜかだめだ。あれだけは自分のがいい。
「家のやつ、時々間違えて使ってるって言ったらどうする?」
「どこをどうやったら間違えるのよ!?」
 半泣きになりながら夏清が振り向く。二人ともまったく違うメーカーの、似ても似つかぬ色のものを使っているので、間違えるはずなど故意でもなければないはずだ。
「うそだってば」
「ほんとだったら絶対新しいのに変える!」
 そう叫んで夏清が今度は洗面所に走っていく。本当に確認しに行ったのかと思えば、この前のゴールデンウィークに北條達と一緒に行った一泊旅行のときにホテルからもって帰って来た使い捨ての歯ブラシを持って来た。
「とりあえずコレ!! 入れとくからね」
 ほかに、タオルなども入れて、まだ余裕のあるかばんのファスナーを閉じる。時計はすでに、四時寸前。
 身支度をしなくては。寝るのをあきらめて、フラフラと井名里の寝室を出て行く夏清に井名里が声をかけた。
「どこ行くんだ?」
「シャワー……浴びてくる。あ……ついでに洗濯もする。だからどいて」
 ふるふると首を振りながら戻ってきて、夏清がシーツの端を引っ張る。
「じゃ俺も」
「っ! 一人で、はいるぅ」
 シーツを掴んだまま、夏清が泣きそうな顔で見上げている。しばらく見詰め合ったあと、こいこいと手招きをすると、警戒しながらにじり寄ってくる。大きく開いた襟ぐりから、胸元が見えそうで見えない。
「……うぎゃっ……」
「捕獲」
 ぐしゃぐしゃに撚れて汗と体液で汚れたシーツといっしょに肩に担ぎ上げる。
「うー」
 腕を突っ張ったり、シーツが絡んだ足をばたつかせても、井名里の拘束が緩むことはない。夏清は、そのまま浴室まで拉致された。






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