5 宿
夏清が入れられたのは、三畳ほどの小さな部屋。入ってすぐ渡された、軽い電子音を響かせた体温計を保健医に返す。なんだか、隔離部屋のようだ。
「狭いけど、大勢でいるよりはいいと思うから。熱は……三十七度八分か……微妙だな……薬飲む?」
井名里にべったりとくっついたから……ではないと思いたいのだが、体も心も少し落ち着いたが、薬はもらったほうがいい気がして頷く。
それを見て、塩野がウエストポーチから錠剤を一つ取り出した。
「コレは熱さまし。他に頭とかおなかとか、痛くない?」
「いいえ」
「最近は頭痛治まってるみたいだけど……無理しちゃダメよ? 前みたいに全部薬に頼るのもよくないけど、痛いのに無理することはないからね? 痛くなったら言ってくれたら薬だすから」
「すいません」
「いいのよ。とりあえず、コレだけ飲んで。ひとりで着替えられる?」
「ハイ」
「ごめんね、他にも具合の悪い子がいるから、そっちに行ってくる。少ししたらまた見にくるから、着替えて休んでてね」
「ハイ」
薬を置いて、塩野が出て行く。ばたんと戸が閉まる音に、ほっと息を吐いた。
井名里は、夏清を抱いてこの部屋まで運ぶと、さっさといなくなってしまった。スーツは借りたままだ。それを再び着て、着替えを持って夏清はよろよろと立ち上がる。
「トイレ、いかなきゃ」
バスを降りるとき、井名里は取っていいといっていた。一分一秒でも早く、あんなもの取ってしまいたい。
そっと戸を開けると廊下には誰もいなかった。はす向かいにトイレの表示を見つけて、なんとかさして広くもない廊下を横切り、トイレの個室に入る。
「……………で……取る、って……」
目の前にあるのは和式トイレ。
「取る……って、ことは……」
自分で、指を、いれなくてはならない。
ごくり、と生唾を飲み込む。
ショーツの両端に手をかけて、脱ぐ。
息を吸って、吐いて。
吸って、吐く。
何度か繰り返す。目を閉じて、手を伸ばす。
夏清は、自分で自分のそこに指を入れた経験が、一度もない。
自分の指より太いものが何度も入っているのだから、指くらい平気だとわかっていても躊躇する。
「んく」
くちゃり、と音がたった。雑念を振り払おうと頭を振って目を閉じて、息を吐きながら、指を進める。
先ほど達したばかりのそこは、びっくりするほど熱い。
指の冷たさが、ナカに伝わる。
ナカの熱さが、指に。
どちらも自分の体なのに、全然別のもののようで、夏清は思わず身震いする。
「あ……れ?」
指を進めると、どんどん奥に入っていく。力を緩めて出そうとしても、充血したそこから、簡単にでてこない。
「どう、しよう」
結果的に、また自分で奥まで入れてしまったことになる。
三度目に意を決して指を増やしてみても、躊躇してしまってそれの横に進入させることができない。なんの引っかかりもないつるつるした表面が憎らしい。
「や、ん……んふっ……」
このまま続けたら変な気分になりそうで、諦めて指を抜く。こんなことで病院に連れて行かれるのは絶対いやだ。じゃあ誰に頼めるかといえば、ものすごくいやだが一人しかいない。
「もー やだ」
怒りをぶつける相手がいない。がす、とトイレの壁に拳を入れるくらいしかできなかった。
着替えてふて寝をしながら、メールを打つ。最初こそ悪かったとか、機嫌を直せとか返事が来ていたが件数が四十を超えたあたりで一方的な攻撃になった。しかし、肝心のことが伝えられない。文字にして残るのがなんだかいやで、打ってもすぐ消してしまう。
「うー」
電話をかけようとして、やめること五回。どうして電話をかけるだけでこんなにどきどきするのかと考えてみたら、そういえば夏清から電話をかけたことがない。携帯電話をもらってから、一度も。
初めてかけるのがこんな用件なんて、悲しすぎる。
少し前からこめかみに偏頭痛。頭痛なんて本当に久しぶりで、また唸ってから両手で押さえる。
「頭痛薬ももらっといたらよかった……」
一人で暮らしていたときは、頭痛薬とはお友達だったので、常に持ち歩いていた。祖母が亡くなってからはほとんど毎日飲んでいたように思う。頻繁に薬を買いにくる夏清に、薬局のおじさんが、同じ薬では効きにくくなるからと三つくらいの薬を順に渡してくれて、ひどいようなら病院に行きなさいと再三言ってくれた。井名里と暮らすようになってすっかり治まっていたところを見ると、やはり精神的な部分が大きかったのかもしれない。
ため息をついたのと同時に、ぴ、と通話ボタンを押してしまった。慌てて切りかけて、かけたのだから切るのもなんだしとびくびくしながら井名里が出るのを待つが、全然出ない。
「むかつくぅシカト!?」
心拍数が上がったせいで頭痛がひどくなった気がした。二十コールを数えて、夏清が切ろうと耳元から離した瞬間、井名里の声が届いた。
ところ変わって、一点透視ができそうなくらい広い宴会場。新城東の二年生および引率者が三百名ちかく、お行儀はそこそこ、と言った感じで夕食を食べているその会場。
どこからともなくゲームのレベルアップ音が頻繁に聞こえる。
それが聞こえるたびに幾人かが自分の携帯電話を確認して、首をかしげている。
受けている本人は、聞かなくてもわかる。バイブレーション機能もオンにしているのだ、ひっきりなしにスラックスのポケットで電話が震えている。いささかうんざりしながらお茶をすすっていた井名里に、クラスの女子がにじり寄っている。背後から。
「どうする?」
「どうするって、とってあるんでしょう?」
「やっぱ聞いてからにしないと」
夏清を部屋に運んだあとの井名里は、それはもう大層機嫌の悪い様子で、生徒たちは聞きたいことがあっても隣のクラスの女性担任のところに行ってしまっている。
別に、怒っているわけではなくて、それでも一応いろいろ反省しているのだが、端から見ればどうみても、眉間にしわを寄せて切れ長の目で一点を見つめていたりすれば、近づくのをためらう。
夏清を抱えて全く重そうにもつらそうにもしないで悠々と歩いていく井名里を、それなりに生徒から、特に女子はほーっと口を開けてみていた。
いくら夏清が細いとはいえ、四十キロはあるのだ、それをよろめきもせずに抱えて歩くことは、結構すごい。ただ単に週に一回は家庭内拉致が起こっているため、抱えるほうも抱えられるほうもある程度コツを掴んでいるだけなのだが。
「誰が声かける?」
「じゃんけんする?」
「いやー また負けたら私、泣く」
「何をしとるんだ? お前たち」
喧喧諤諤と相談をしていた少女たちは、突然声をかけられて飛び上がった。見上げると学年主任の高橋が立っている。
「あ、いえ……委員長……渡辺さんに、晩御飯、持ってっていいか、先生に聞こうと思って」
学年主任と話すことなど、ほとんどない。井名里と話すことさえ、彼女たちはほとんどないのだ。いつも夏清が窓口になっている。
「井名里先生、生徒が渡辺に……」
「聞こえましたよ。誰かに頼もうと思ってたんです。行って来てくれ」
うそだ。それを口実に自分で行こうかどうか迷っていたところに、先に生徒たちが来てしまったのだ。純粋に夏清を心配している生徒たちを押しとどめて、何かいらない詮索をされるのもかなわない。
面倒そうなそぶりで、振り向きもせずに井名里がそういう。じゃあ行こうか、と少女たちが立ち上がろうとしたとき、すぐ近くで着メロが流れ出した。
「だれ?」
「ちがう」
「さっきからよく鳴ってるよね」
「コレ何だっけ?」
「B'z。ZEROだよ」
「あ、ほんとだ。うわ!!」
いきなり、井名里が立ち上がる。ポケットから携帯電話が取り出されると、さらに音が大きくなった。
「もしもし!?」
少女たちを蹴散らすように大またで歩いて出口へ向かう背中を、彼女たちは呆然と見送った。
「切るな!! 悪かったって、ああ、誰かのが鳴ってると思ってたんだよ! 大体お前からかけてきたのはじめてだろう!? 二ヶ月も前に買ったのに!!」
その背中が、あせっている。あせる井名里などはじめてみた生徒たちが食事も忘れて廊下に出て行く井名里を目で追っていた。
「あ。井名里のも新機種だよ。いいよね。社会人は金持ってるからすぐ新しいの買えて」
仲居さんにラップをかけてもらった食事を持って、ぞろぞろと廊下に出ると、奥で井名里がわめいているのが聞こえる。
「道理で音いいわけだよ」
「でもさ、相手誰?」
どう見ても痴話喧嘩だ。初めて人間らしくしている井名里を見たような気がしているのは自分だけではないはずだ。
「カノジョでしょ?」
「うそ!?」
「だってZEROでしょ? 今逢いたいすぐ逢いたい♪ の」
「公園館では浜崎だったよね?」
「だった! しかも新曲だったんだよー 怖かったよ」
「にあわねー それこそトッカータだよ」
夏清の着メロを思い出して、女子一同うんうんと頷く。自分たちが核心を突いていることは、誰も気づいていないが。
「でもさ、委員長。そんな具合悪かったのかなぁ」
「うん。思い出したらなんか、出発前から顔色悪かったよ。あの人」
ぞろぞろと歩きながら、少女たちがとりとめもなく会話を交わす。
「なんかこう、無理してるよね」
「してるしてる」
「………カレシとなんか、あった……とか?」
誰かの一言に、てんで勝手に喋っていた面々がしんと黙り込んだ。
「……聞いて追い討ちかけるのもなぁ……絶対言わないだろうし。とりあえずそれにはみんな触れないように」
先頭を行く草野がそう言うと、誰も異存はないらしく、なんとなく会話を再開させられないまま、一行はやっぱりぞろぞろと群れながら夏清がいる部屋へ向かった。
「は?」
『………だから』
耳を疑う。いま夏清はなんと言ったのか。
『……とっ……取れないの』
消えそうな声が、電話を通して耳に届く。
取れない?
「いや、普通、でてこないか?」
『出ないわよ!! 大体普通ってナニ!?』
「普通は普通だろ……」
『ナニがどうなって普通なの!! うー』
電話の向こうで夏清が暴れているのがわかる。
「で……まだ入れてるのか?」
『確認しないでよ』
薄皮を一枚隔てたように聞こえる電話の声が、艶をもつ。
「どうするんだ?」
『どうするんだ? ……じゃないでしょう!? 入れた人が責任とってよ!!』
「……わかったから、病人が暴れてるんじゃない」
『誰のせいよ!?』
「オレ」
『わかってるなら早く来て』
「無理だ。いまクラスの女子が行ったぞ。飯持って」
『うそ!?』
「それが終わってからだな。もう一回電話して来い」
『何でそんな偉そうなのよ!? もとはと言えば先生のせいでしょう!?』
「スイッチ入れるぞ」
『いやー!!!!!』
夏清が絶叫する。その声量に思わずいったん電話から耳を離して、予想通りの好反応に笑いながら続ける。
「うそだって。スイッチはお前にかけた上着の中。やりたくてもできません」
ふざけたような井名里の物言いに、しばらく返事が返ってこない。
「もしもし?」
『もしほんとにやったらこのまま帰ってやる』
「帰るってどこだよ」
どうせ帰っても同じ家なのだ。問い返す井名里に、間髪いれずに夏清が答える。
『北條先生んち』
「ハイハイ。切るぞ」
『うん、こっちもきたみたい。じゃ、ほんとに電話するから、絶対来てね。絶対だよ』
「わかったって」
電話を切って宴会場に戻ると、ほとんど全員の視線が井名里に集まる。そのまなざしに含まれるものはさまざまだったが、あっさりと無視をする。
電話がかかってくるまで、まだ少し時間があるだろうと、井名里は席に戻ってぬるくなったお茶を飲み干した。
「いーいーんーちょーうー」
ごんごんごんごんごんと、言葉の数だけノックが響く。
「はーい。開いてるー」
電話を切ると同時に、クラスメイトがぞろぞろやってくる。とは言え、狭い部屋に全員は入れば座れるわけもなく、ふとんの脇には食事の乗ったトレーを持った草野しか座れない。
「無事?」
草野がそういって、トレーを置く。
「うん。だいぶ具合よくなった。ごめんね、心配かけて」
偏頭痛はあるけれど、我慢できないほど痛いわけでもない。わざわざ言う必要もないだろうと、夏清が笑顔を作る。
「いいよ。私らも委員長がやってくれるのいいことに全部押し付けてたし。でもこの感じなら明日は普通に回れそうだね」
「うん。おなかすいてたんだ。ありがとう」
別に何の変哲もない、白いご飯に味噌汁と焼き魚におひたし。その他もろもろ。
「あれ、井名里の?」
「え?」
びくりとして、夏清が草野が指差したほうを見る。ハンガーがなかったので、なるべくしわにならないようにしながら自分のスポーツバックの上に井名里のスーツがかけてある。
「うん。借りたの」
「返しとこうか?」
「いっ!!! いい……自分で返すよ……」
思い切り動揺しながら夏清が返事をする。返してもらうのはいいのだが、万が一アレが見つかるとやばい。また心拍数が上がったせいで頭の痛みが増した気がした。
「そう? でも井名里、すごかったね」
「なにが?」
「普通あんな堂々と女の子抱くか?」
どん、と体の中で音がした。体中の血が顔に瞬間移動したような気がする。それに伴って目が回って、夏清がぱたんと前屈するように倒れこむ。
「い、いいんちょう!?」
「だ、だいじょうぶ、ちょっとあたま、痛いだけ」
「ごめん! 別に委員長を冷やかしてるわけじゃなくてっ!!」
真っ赤になって動揺しまくる夏清に、なぜか草野が謝った。
「だからその、井名里って、あの人、人に触るのいやそうじゃない? 潔癖症っぽいと言うか」
「あー うん。そうだよね。カッター絶対クリーニング出してる感じ」
そんなことはない。絶対。部屋の隅に埃が積もっていても平気だし、昨日着たカッターだって平気で着る。現在夏清の日曜の日課はカッターのアイロンかけだ。アイロンを持っている間はさすがに井名里も近づいてこないので、数少ない夏清の聖域がたった一つある納戸代わりのこの部屋と変わらない狭さの和室。そこで静かに一人でいられる幸福を噛みしめながらアイロンをかけている。高校生としてちょっと間違っている気もしないでもないが。
潔癖症どころか、家にいるときはがしてもはがしても、べたべたとくっついてくる。
「好きキライとかはげしそう。ご飯おいしくなかったらちゃぶ台ひっくり返すくらいやりそうだよね」
そんなこともない。多分。甘いものも辛いものも平気だし、ちょっと賞味期限的にヤバそうなものでも平気で食べる。おいしいと言わない代りに不味くてもなにも言わずに全部食べてしまう。
「そ、そう、かな……」
勝手に盛りあがっている少女たちに、どのくらいズボラな人間か暴露したい衝動に駆られながら、夏清が引きつった笑いを浮かべる。人の認識は当てにならない。とはいえ、夏清もつい最近まで彼女たちと同じように思っていたのだ。この三ヶ月、想像と現実のギャップの激しさに翻弄されることの連続だった。だからこそ飽きなかったのだが。
「とにかくっ」
ぱん、と自分のひざをたたいて草野が話を戻す。
「明日には元気になって、いっしょにまた回ろう。委員長、一番神戸行きたがってたし」
「ありがとう。食べたら寝るね」
「そうそう。じゃあね」
ばいばいと口々にいいながら、少女たちの波が去っていく。それを見送って、夏清はため息をついて、ふとんの中から携帯電話を取り出した。
「……その前に……」
ごそごそと這い出して、スーツのポケットを探る。井名里の言うとおり、アレのリモコンが出てきたので、とりあえず自分のかばんの中に入れておく。
「ごはん、たべよう」
「おう、どうだ?」
例によって例のごとく、ノックも何もなしで井名里が顔を出したのは、夏清が無理やりご飯を食べている最中だった。持ってきてもらった手前ああ言ったが、本当はあまり空腹感はなかった。持ってきてくれたクラスメイトにも悪いし、食べておかないと体力も底打ちのままだから、とりあえず胃におさめようとしているだけだ。
「だから、なんでいきなりドア開けるの? それにまだ電話かけてないよ」
飲み込んでから夏清が抗議しても全く反省する様子もなく上がりこんでくる。
「病人みたいだな」
「病人なんです」
箸を置いて、夏清が憮然としながら答える。
「頭痛いし、体だるいし、熱っぽいし。全部先生のせい」
「ハイハイ、悪かったって」
「全然感情こもってない!!」
大声を出して、そのまま夏清がふとんに突っ伏す。
「うー」
「本当に具合悪いのか?」
「悪い。頭痛い。気分も悪い」
さすがに心配そうにそう言って背中と頭をなでてくれる井名里に、泣きそうになる。諸悪の根源だとわかっているのに、ちょっとやさしくされるとうれしくなる。
「夏清」
やさしい声。
やっぱり、こっちのほうがいいのに。そう思いながら促されるまま抱きしめられて、ことんと広い胸に頭を預ける。それだけで、体の不調も和らぐのはなぜだろう?
「………先生?」
「ナニ?」
「なに、じゃなくて、手」
ほっとしたのもつかの間で、体を抱きしめていた井名里の大きな手が不穏な動きを見せている。
学校指定のジャージの下に着たTシャツが捲り上げられて、熱で汗ばんだ夏清の肌に乾いた指が吸い付いている。
「どうせ取るなら……とか、考えてんじゃないでしょうね?」
体をはがそうとした夏清がそう聞くと、一瞬手が止まったが、引き寄せるようにしてもっと大胆に動き出す。
「私は、こう言うことがしたいんじゃなくて……」
前回の轍を踏まえて今日はブラをしたままだったがあっさりはずされる。
「お、大声、だすよ」
「出してみな」
夏清にはできないと知っていて、井名里がそういう。あっさりと見透かされて、夏清がのどを詰まらせた。
「それとも、シラフで股開くか?」
井名里が、とてもやさしい口調でものすごく恥ずかしいことを聞いてきて、夏清は何も答えられなくなる。心臓がばくばくして、頭がガンガンしてくる。
それはいやだ。いやだけれど、だからと言って……
柔らかいキス。
「お願い。ほんとに……頭イタイの。だから……」
「わかったよ」
するりとショーツのなかに入ってくる井名里の手を、いつもは形ばかり拒否する夏清が、素直に腰を浮かせて招き入れる。
「ん、い……た……」
乾いた粘膜が擦れて、軽い痛みに夏清が眉間にしわを寄せる。
「痛いか?」
手を退けて、そっと尋ねる井名里に、夏清が小さく頷いた。いつもなら、こうなる前に半分意識がどこかにいってしまっている。恥ずかしいくらい濡れているのに、今は違う。けれど、自分が早くしてくれと断ったのだ。いまさら夏清には、いつものようにしてくれとは頼めなかった。
「だい、じょうぶ。平気」
「体勢変えるぞ。このままだとやりにくいから」
「ん……」
あぐらをかいた井名里の前に、ひざ立ちになる。井名里の肩に手を置いて、その頭を抱くように。
ジャージとショーツが、いっしょに引き降ろされる。外気に触れた夏清の小さな尻が震える。
「ん、あ……」
指を自分の唾液で濡らした井名里が、再び夏清のそこに触れた。そのまま、指がなかに侵入してくる。ただ、取れなくなったローターを取るだけだとわかっているのに、ゆっくり優しく入ってくる指に、夏清の体は反応する。
「くっ……ん!!」
井名里の肩に置かれた指に力が入る。爪が立ち食い込む感覚に、井名里が少し顔を歪ませたが、夏清に見えるわけもない。
押し広げようとする指を、内壁が押し付ける。
「ほんっと、締まりいいなぁ」
きっちりと隙間なく締めつけるのを、強引にローターの横に指を入れる。肩にかかる指に、思いきり力がこもった。
「いった……!!」
少しずつ、指に引っ掛けたそれを引き降ろす。
「痛い……もうやだ。やめて……」
見上げると、額に汗を浮かべながら、夏清が歯を食いしばっている。本人は痛くて堪らないのに、その顔に井名里はまたどうしようもない劣情がこみ上げてくる。やめてと言われても、出してしまわないことにはどうしようもない。ゆっくりやっていても痛みが長引くだけだろう。抵抗を無視して、一気に抉り出す。
「いっ!!!!」
夏清が、短い悲鳴を上げる。
「取れたぞ」
「……うっ もうやだ……こんなの、もう」
すぐに服を引き上げて、そのままぺたりと夏清がしゃがみ込む。
「悪かった。反省してる。もうしません」
手の中に出てきたローターに血がにじんでいた。いつにもまして小さく見える夏清に、ほとんど棒読みのような感じで謝った井名里も言ったあと本気で後悔をしはじめる。
もう一方の手を伸ばして夏清に触れようとした井名里を、夏清がびくりと身を捩って避けた。
「もうやだ。先生、なに考えてるかわかんない。私って、先生のなに? いつでもやりたいことできる都合のいいもの? 自分の思いどおりになるなら、別に私でなくても構わないの?」
心のこもっていないふざけた様な謝罪が、夏清の心の中にある疑惑に拍車をかける。
「そんなわけないだろう」
「……あんなの、荷物にいれたの、確かに私が悪かったって思ってる。先生が怒っても仕方ないって」
ぼろぼろと泣きながら、夏清が井名里を見上げる。否定しながらも困惑した様子で黙り込む井名里を見ていると、ものすごく胸が痛い。
井名里のほうこそ、夏清が何を言いたいのかがわからない。井名里自身は、夏清以外になにかしたいと思う事がないし、だからこそいろんなことをやってみたくてうずうずしていたのだ。確かに口実にはもってこいのことをされたので、コレ幸いと、自分がすることすべてに面白いくらい反応するので、ちょっとやってみただけ、だったのだ。
こんなに傷つけるつもりは全然なかったのに。
「怖いの。すごい怖いの。するの断ったら、いらないって言われそうで怖かった。だからいつも、最後は先生の好きにしてた」
井名里に体を触られてこんなに気持ち悪かったことはなかった。いつも気持ちよかった。やさしくて暖かくて、人の体温があるだけで、触れるだけでいつもなにも考えなくてよかった。なのに今日は頭がガンガンする。目の前がブラックアウトしたように、なにも見えない。
「夏清……」
「でももうやだ。こんなのならもう……いい」
目の前にいる井名里は、全然なにも感じてないみたいに、夏清の痛みもなにも、どうでもいいことのように平然としているように見えた。
夏清の思いは、井名里には伝わっていない。伝わっていても、知らん顔をされている。ずっと考えないようにしていたこと。ずっとふたをしていたこと。ココのところずっと夏清の心にあったこと。
もしかしたら、もう井名里は自分のことをなんとも思っていないのかもしれない、と。
だから、井名里は今日みたいなひどいことをしても、こんなにも平気な顔をしていられるのかもしれない、と。
なのに、夏清が一人、井名里に依存したくて、ここにいるような気がして。でももう、耐えられないと思う。拒んで嫌われることを恐れていたのが嘘のように、一瞬夏清の心のなかに、空白ができる。
ぐい、と夏清が涙をぬぐった。なにもできずにただ井名里は黙っている。黒くて大きな瞳が、ふいに井名里にむけられる。けれど、その瞳は、井名里を映さない。どこか焦点の合わない壊れそうな顔で、夏清が色のない唇を震わせる。
「もう、先生なんか、大っキライ!!」
言い終わってすぐ夏清が前のめりに倒れた。
「い……うぐっ」
口を両手で押さえて、夏清がうめく。
「ちょっ……まった!」
待てと言われて、待てるようなものでもない。とっさに井名里が広げたスーツの上に、今食べたものを全て吐き出す。
「う……かはっ……」
吐くものがなくなっても、何度も体を痙攣させながら、それでも空咳に似た音を立てて、夏清が胃液まで吐きつづける。涙があふれる。背中をなでる井名里の手を、夏清が弱々しく払いのけようとする。
こんなにも、追い詰めるつもりはなかったのに。
確かに、一緒に住み始めてからずっと、夏清は井名里の言う事もやることも、形ばかり抵抗しながらも受け入れていた。夏清は一度やればものを覚える。それですぐコツを掴んで、応用が利かせることができる。すぐに井名里のパターンを把握して、ずっと井名里にあわせていた無理が、全部出たのだろう。夏清のそういう部分に井名里は知らないうちに自分が甘えて、どんどんエスカレートしていたことに今更気付く。
そのまま自分が戻したもののなかに突っ込みそうになった夏清を、支えて起きあがらせる。夏清の頭が、勢いで力なくのけぞった。部屋に入ったときは、熱のせいで少し赤かった顔は、真っ青になっている。
「夏清!?」
名前を呼んでもぐったりと動かない。
なにも言えずに黙って夏清を寝かせて、戻したものを取り、部屋を出ると、二年A組の女子が二人、夏清の部屋に向かって歩いてきている。手には、アイスかなにかの小さなカップ。
「あ、先生。委員長、まだ起きてますか?」
「いや。さっき吐いた。悪いけど保健医呼んできてくれ」
「うそ!?」
「塩野先生どこにいたっけ?」
少女たちが踵を返して走り去って行く。それを見送って、井名里は斜向かいのトイレに入り、洗面台の水を出して、吐しゃ物を洗い流す。叫びだしたい衝動を押さえながら鏡の中の自分を殴りつけた。
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